imacocoの由来

「いま・ここにあること」は禅の思想の根本です。
私たちは気づかぬうちに
 ほとんどの時間を過去と未来に生きています。 
過去のできごとや失敗、後悔にずっと執着し、それに基づき想像し、不安を感じ、そしてその通りになります。

だからこそ「いま・ここ」に意識を向け、その時・その場と誠心誠意一体になることが、本当の自由への第一歩となります。
そのような願いを込めて、この集いを「imacoco」と名づけています。 

校章に込めた3つの願い


  • 赤、緑、青「光の三原色」のように、 子供たちは何色にもなれるの可能性をもっているということ。


  • 太陽(赤)、鹿嶋神宮の森(緑)、鹿島灘(青)に代表されるimacocoが生まれた鹿嶋の豊かな自然と共にあること。


  • 外は冷静(青)で、内に情熱(赤)を秘めた人間を目指し、育むこと。

 

イマココの在り方

停滞を破り、自走するための宣言

~imacoco学園代表~小日向貴史 


イマココの在り方 ―― 停滞を破り、自走するための宣言

イマココはフリースクールではありません。 教える場所でも、居場所を提供する場所でもありません。 何かを与えたり、何かをしてもらうことを前提とした場ではありません。

ここは、自分の都合や判断だけで動く場ではなく、大人も子供も、場の流れや周囲との関係の中で成り立っています。それぞれがここに来て、共に過ごし、動く中で、自然に整っていく場です。

ここでは、大人も子供も行動で示すことを大切にします。 もっともらしい理由は、行動しないための言い訳に過ぎません。 やりたくないことを口にすることもあるでしょう。それでも、目の前に起きていることはすべて必然であり、今やるべきこととして現れています。

言葉よりも行動がすべてです。 理由ではなく、実際の関わりと動きがそのまま現れます。

学校に行けないこと、行かないことは問題ではありません。 日常の流れが滞らなければ、自然に道は拓けていきます。

1. 停滞を正当化する「優しさ」への疑念

昨今の不登校支援の現場では、「居場所」「好きなこと」「遊び」「ゆっくり」「そのままで」といった言葉が溢れています。一見、これらは子供に寄り添う優しい言葉に聞こえるかもしれません。

しかし、私たちは危惧しています。 これらの言葉が、時として本人のエネルギーを奪い、「停滞」を正当化する麻薬になってしまっている現状を。

「何もしなくていい」「今のままでいい」と言われ続け、ぬるま湯のような空間で消費的な遊びに耽る。それは本当の意味での「回復」でしょうか。むしろ、自走するための心の筋肉を退化させ、現実から自分を切り離す「停滞」を助長しているに過ぎないのではないか。

不登校そのものは問題ではありません。本当の問題は、日常の流れが滞り、自ら動く力を失ってしまうことです。「ゆっくり休む」という名目のもとで、期限のない先延ばしを繰り返しても、道は拓けません。理屈や理由を探して動かない時間を「自分と向き合う大切な時間」と美化することも、私たちはしません。

滞りを解消するのは、頭の中の理解ではなく、具体的な身体の動きです。目の前の作務に没頭し、場の流れに合わせて身体を動かす。その「必然の動き」の中にこそ、自分を整え、次の一歩を踏み出すための真の生命力が宿ります。

私たちは、甘えを助長する「まやかしの優しさ」を捨て、共に動き、共に整っていく「厳しくも温かい場」でありたいと考えています。

2. 過去という幻想、今ここの身体

つらい出来事が起きた直後、何をする気力も起きない時期があるのは事実です。休息が必要な時もありますし、その環境から物理的に距離を置くことも重要でしょう。

しかし、知っておかなければならないことがあります。 どれほど深い傷であっても、それは今この瞬間、目の前にあるものではありません。それは、すでに過ぎ去った「過去の記憶」という残像です。

「自分は傷ついているから動けない」と思い込むこと、その自己定義こそが、生命の「滞り」を引き起こします。実体のない過去の痛みに囚われ、思考の中に閉じこもる。もっともらしい理由を並べて、目の前の現実から目を逸らす。それは「癒し」ではなく、自らを停滞という牢獄に閉じ込める行為に他なりません。

「今ここ」には、実は何も起きていないのです。 目の前にあるのは、ただ流れる時間と、共にある場と、なすべき動きだけです。

だからこそ、私たちは「理由」を捨て、身体を動かすことを求めます。過去の重荷を下ろし、今、この瞬間の必然に身を投じる。その動きの中でこそ、停滞していたエネルギーは再び循環し始めます。

3. 自意識という檻を抜け出す

他人の目が気になる。周囲で何か噂をされているのではないか。そうした不安に足が止まることもあるかもしれません。

しかし、知っておくべき真実があります。 他人は、あなたが思うほど、あなたのことを気にしていません。 あなた自身が、一日中誰かのことばかりを考えてはいないのと同じように。

「誰かにどう見られるか」という自意識は、実体のない幻想に過ぎません。その不確かな「他人の視線」という妄想にエネルギーを注ぎ、自分の日常を滞らせること。それ自体が、最も不毛な停滞を引き起こします。

学校に行かない自分、動けない自分。それらを「世間」という鏡に映して悩み続けるのは、鏡の中の残像と戦っているようなものです。鏡を見るのをやめ、外へ目を向けなさい。

今、目の前にある場。今、共にある仲間。今、なすべき一歩。 自意識という檻から抜け出し、身体を動かすこと。その「無心」の動きの中にこそ、他人の目など入り込む余地のない、本当の自由があります。

私たちは、大人も子供も一人の人間として、対等に向き合います。 理屈ではなく、実際の動きの中で、共に道を拓いていきましょう。


imacoco学園代表 小日向貴史

<経歴> 

1976年生まれ。埼玉県志木市出身。
1998年 國學院大學法学部 卒業 
2020年 武蔵野大学大学院人間社会研究科人間学専攻 修了(人間学修士)
 
大学卒業後、大手通信系企業を経て、セキュリティ分野で企業立ち上げに携わり、取締役営業部長として組織の基盤構築を担い、組織の成長と経営に貢献。
その後、夢であった教育界に転身し、私立高校教諭として教壇に立った後、大学職員として入試・広報業務に従事。
また、志木市高齢者あんしん相談センターあきがせのオーナーとして、地域の福祉にも貢献。 2024年4月には志木市議会議員選挙に挑戦した。 

剣道家としては、
埼玉県志木市で30年以上続く、『清龍館小日向道場』の2代目館長として、国内外問わず小学生から社会人まで幅広い門下生を指導。 
2024年には 國學院大學剣道部の監督を務め、監督就任1年目で、70年ぶりに全日本学生大会で3位入賞に導いた。

 
<資格・免許>
高校教諭公民科免許/特別支援学校教諭免許/宗教科免許
剣道教士七段/清龍館小日向道場 館長

フリースクールにありがちな停滞を生む仕組み

 


「優しい場所」が「動けない場所」に変わるとき

:見守る大人の心得

学校に行けず、心が疲れてしまった子にとって、フリースクールのような場所は大切な「避難所」です。しかし、そこでの「優しさ」が、ときとして本人の成長を止めてしまうことがあります。 大人が無意識に陥りやすい落とし穴について、整理しました。

1. 「そのままでいい」という言葉の、本当の意味

「無理しなくていいよ」という言葉は、本来、次のステップへ進むためのエネルギーを貯める「休憩」のためにあるものです。

  • 大人の逃げ道になっていないか: もし、周りの大人が「自分も面倒なことから逃げている」状態だと、その言葉は「僕も頑張らないから、君もそのままでいいよ」という、お互いの傷をなめ合うだけの合図になってしまいます。
  • 心地よすぎる「止まった時間」: 何のハードルもない環境は、一見幸せに見えます。しかし、そこがあまりに居心地が良すぎると、外の世界へ踏み出す勇気や、問題を乗り越える力が少しずつ失われていってしまいます。

2. 「頼られること」で満足してしまう大人たち

支援する側の大人も一人の人間です。知らず知らずのうちに、自分の心の穴を子供で埋めてしまうことがあります。

  • 「先生」という立場への依存: 社会の中で自信を持てない大人が、自分を慕ってくれる子供たちに囲まれることで、「自分はすごい人間だ」という勘違い(万能感)に浸ってしまうケースがあります。
  • 「変わってほしくない」という無意識のブレーキ: 子供が元気になり、自立して自分の元を去っていくのは本来喜ばしいことです。しかし、自分の存在価値を「頼られること」に置いている大人は、無意識に「君はまだ弱いから、ここにいた方がいい」と、子供を引き止めてしまうことがあります。

3. 「いい人」という印象に惑わされない

「優しくて話しやすい人だから安心」というのは、一つの目安にはなりますが、それだけで判断するのは危険です。

  • 大人が「自分の足で立っているか」: 本当にチェックすべきは、その大人が「当たり前のことを当たり前にやっているか」という点です。約束を守る、地味な作業をコツコツ続ける、自分自身が新しいことに挑戦している。そうした「大人の背中」がない場所では、子供にだけ「頑張れ」と言っても響きません。
  • 「ここだけが世界のすべて」という危うさ: 「この先生だけが理解者だ」「この場所しか居場所がない」という状態は、一見絆が深く見えますが、実はとても狭い世界に閉じ込められているサインかもしれません。本物の支援は、外の世界へつながる「扉」を広げてくれるものです。

結論:いつか「荒野」を歩き出す日のために

フリースクールは、心を休める「キャンプ場」であっても、一生そこにとどまる「出口のない部屋」であってはなりません。

本当に子供のことを思うなら、大人は「優しさ」という隠れみのを脱ぎ捨て、自分自身が現実の世界で汗をかき、成長しようとする姿を見せ続ける必要があります。 大人が一人の人間として一生懸命に生きている。その力強い背中を見せることこそが、子供たちが「自分ももう一度、あっちの世界へ歩き出してみよう」と思える一番のきっかけになるのです。